新陰流の稽古において、立ち方、歩き方は最初に学ぶことの一つです。
立ち方、歩き方について、その要旨は前田英樹著「剣の法」第二章五「身を置く、ということ」に見事にまとめてありますので、引用します。
「(前略)猿の動きのどこが、お手本になるのでしょう。猿の歩き方は、四足で移動する動物と直立歩行の人間との中間にあります。猿は、直立歩行を始める直前の、人間の歩き方を示してくれている。つまり、その直立歩行はまだ大変不安定で、すぐに四足歩行に引き戻されてしまうのです。ここにある<不安定>から、陰流の開祖、愛洲移香斎は一種の霊感を得たに違いありません。
立ち上がった猿の不安定は、どこから来るのでしょう。それはよく見れば明らかです。直立のままでは、地を蹴って前に進む、という歩き方ができないところから来ています。立つことはできても長く歩くことはむずかしい。したがって、人間が直立歩行を完成させたのは、二本の足だけで地を蹴って歩くことに、ついに習熟したからでしょう。この習熟には慣れによる鈍感さが伴っています。均衡を崩したままで、平気で前後左右に揺れながら、のこのこ歩くのが人間です。猿にはこういう粗野は耐えられません。
けれども、猿の二足歩行には、また別の習熟の仕方が可能性としてありました。それは地を蹴ることをやめる歩き方です。(中略)
さて、新陰流剣法の稽古は、必ず日常の立ち方、歩き方を深く変更するところから始まります。野球やテニスを始めるのに立ち方や歩き方を変える必要はない。洋服を着た日常生活の動きそのままを強化していけばいいわけです。しかし、これでは刀身一如となった振りはできないし、移動軸の前進で相手の移動軸を崩す、というような技も演じられません。腰が吊られ、足が浮き、膝の突っ張りが抜けた状態でなければ、新陰流の太刀筋を正確に出すことはできないのです。太刀筋を正確に出すことができなければ、相手との関係を生む間積りも、拍子も習うことができません。
新陰流では、そのような立ち方、歩き方、身の置き方を「身勢」と呼んで、必ずこれを第一に学びます。何も持たずに、まず立つこと、歩くことを繰り返し稽古するのは、とても大事なことで、流儀に入っていくための土台作りをするわけです。(後略)」
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